昨日は1人で、地元へ行った。
新幹線日帰りで、パスポートの受け取りをしに行った。
そこでわたしは、初めて地元の道を歩いた。
車と自転車しか通らない道。
車の中からしか見たことのない景色。
自転車で駆け抜けていた景色。
歩かなければ、気づくことはなかった、地元の道。
すごく、不思議な感覚だった。
学生も大人も、変わったような目で私を見る。
ここら辺じゃ見ない人だな〜って。
私は慣れないヒールを履いたせいで、意識が足の痛みに集中していた。
それでも、歩くのは楽しかった。
痛いけど、楽しかった。
1番長い間見てきた道のはずなのに、初めて通った道のようだった。
わたしはここで暮らしていたのか。
そんなわたしも22歳になって、懐かしの道を歩いたわけだが、本当に何もない場所なんだなと思った。
田舎すぎると、人々も干渉し合わないんだな〜と。
車の自転車が機械音を鳴らしながら駆け抜けていくだけ。
ただの、交通を見ているようだった。
人の温かみも感じられない。
人々の感情は各自の車の中に閉じ込められていた。
確かに、この土地で生まれ、そして育ったとしたら、こういう風な人間に育つのだろうな、と思った。
人と話すと、少し懐かしい温かみがあった。
でも、「無知」な人ばかりだ。
大人は夢がない。
子供は自由で楽しそうだった。
ここがどんな場所か知らないのは当たり前だが、夢を持っていた。
きっと、外の世界を見てみたいと思う人もいるだろう。
そんな子供に立ちはだかるのが、今までずっとその地で生まれ育った大人たちだ。
自分たちの地域しか知らないから、鎖国的になり、考えも閉鎖的になり、子供達を閉じ込める。
そして子供たちは怖くなって、留まって奴隷のように夢を無くす。
どうか羽ばたいてほしいと願いながら、この大人達はどうすればいいんだろうと考えた。
この人達は、この人たちで幸せなのであれば、問題はないかもしれない。
ただ、子供達を閉じ込めないでほしい。
これは、私の意見だ。
この場所は、この場所でいい。
そしてまた、他の場所だって、素晴らしい。
無い物ねだりの人間が、土地を変え、別の環境を探し、さまざまな背景を持つ人々と交流を交わし、たくさんの人と出会い、さまざまな体験をし、妬み悩み戦い挫け、また立ち上がり、幸福を感じ、絶望に打ちひしがれ、もがきあがいて、生きてゆく。そして、いずれは死んでゆく。
それぞれがそれぞれの場所で、唯一の幸せな人生を送れることを、私は心から願った。
そろそろ、帰りの新幹線の時間か。