死後の世界では、
生前の人生が、履歴書になる
見えたのは、海🌊
波に攫われないように。
どうせみんな行き着く場所。
砂浜に流れつく。
だからできるだけ耐えて。耐えて耐えて耐えて。
波に呑まれても、揉まれても、自由が効かなくても、できるだけ耐えて耐えて、別の島にたどり着け。
不定期で、全世界に波が訪れ、どんな地上も波に飲み込まれ、人は漂流する。
彼岸という名の岸につくな。
彼岸に着いてしまえば、今までの道のりが遺影の写真のようになって、それがずっと纏わりつく世界なんだよ。
彼岸に着いてから、生きていた時代を後悔してももう遅い。生き返ることはできないから。やり直すことはできないから。
彼岸には波は及ばない。
とても安定している地盤があって、揺れることもない。
こんなにも安定しているのに、どうしてこんなに心は落ち着かないのだろう。
揺れる波を見て、羨ましいと思う。
ああ、あんなに必死になって、逆らって、抗って、一生懸命で。
「、、、羨ましいな。」
この土地から人が減ることはない。
人口は増えるばかり。
でもそこにある海はどこまでも広い。
人が飽和することなんてない。
ひとりひとり、全然違う流れ方をしているし、行動範囲も限られていない。
「海に入りたいな。」
沢山の漂流者を眺めながら、砂浜に立ち尽くす。
おや、あそこに無人島があるではないか。
島と呼んでも良いか分からないほどの、小さな面積の丸い浮島に、人を見つけた。漂流者だ。
その漂流者は、こちらを向いている。
彼岸は漂流者に見えるはずはないのに。
たしかに、私の方を向いているのは事実だが、目が合っている感じはしない。私のことは見えていないようだ。ただ、彼岸の方を「向いているだけ。」
その子は、少女だった。ずっとこちらを向いている。たった1人で立ち尽くしながら。まるでもう海に入る気はなさそうだ。
私はその少女を見てもったいないと思った。
「当事者は、気づかないものだよね」
彼女の目の前には自由が広がっているのに。
笑顔もなく、こちらに来たいとでも言うかのようにこちらを見ているのだ。
当事者よ。
その海の波が、どれだけ激しいか、私は知っている。私も経験したことがあるからね。
波に揉まれている時は、とても辛く苦しい時間だ。時には波が穏やかで、まるで流れるプールのように気持ちよく流れることもでき、その時の楽しさといったらない。
でも、私はもう海には入れない。
「入りたくても」入れない。
お前さんは、海に「入れる」人間だ。
お前さんからしたら、入れるかどうかなんて考えはどうでもよくて、その海にもうどうしても「入りたくない」のだろう。
その、「選択肢があることが」、羨ましい。
入りたくないから入らない。
入ろうと思ったら入れる。
お前さんは、今確実に「自由」なところにいるよ。
選べるんだ。
私のいるこの終着点は、選択肢なんてないからね。
この場を享受するだけ。ただ、それだけ。
「他に」がないからね。
お前さんは、どんな選択でもできるんだ。
波に抗うのをやめてこちらに来る選択肢ももちろんある。それを否定するわけでもない。
でも、海をもう一度見てごらんなさい。
お前さんにとって海はどう映っている?
暗くて汚く見えるか?乱暴で何もかもを飲み込む災害に見えるか?
私には、とても美しく見えるよ。
絶対に手に入らないものや過去は美化されるからね。その影響かもしれないが。
お、そんなことを言っていたら、波が高くなってきたね。
すると、波が少女を飲み込んだ。
波が引いた後の浮島の上に少女の姿はない。
流されろ。揉まれろ。
そして耐えて耐えて耐えて耐えろ。
波に流されてここに早くに流れ着いてくるな。
波に流されている間は、自分がどこにいるか、何をしているか、どこに行くべきか、何物の仕業なのか、分からないことしかないだろうが、
そんなこと関係なく私の前に広がっている景色は美しいから。
この美しい海の旅を、ぜひ楽しんでもらいたいな。
またいつか、遅く会えることを楽しみにしているよ、お嬢さん。
「、、、海、入りたいな」